ギャンブルはお好きですか?
俺はこの手の話になれば、
朝まで永遠に語り続けられるほど苦く、辛く、
だが当時は楽しくてたまらなかった記憶が山ほどある。
親父の唯一の趣味はパチンコだった。
休みの日は朝から近所のパチ屋に入り浸り、一日中帰ってこない。
夕方前になると、リビングの母の携帯がピピッとお知らせを告げる。
それは親父が「勝っている」時の合図。
即ち、「今夜は外食(焼肉)に行くぞ」の連絡だった。
負けている時は、閉店の音楽が鳴るまで意地でも帰ってこない。
その破滅的なギャンブラーの遺伝子は、
確実に、そして色濃く俺へと受け継がれていた。
初めてパチンコ屋の自動ドアをくぐったのは、高校1年の時だった。
既にパチ屋に入り浸っていた友人に連絡すると、
「今スロット打ってるから来なよ」と言われ、自転車を走らせた。
確か、パチスロが最も熱狂していた「4号機」の時代。
店に入ると、タバコの煙に巻かれたおっさん達の並びに、
一際あどけない顔をした友人が当たり前のように混ざっていた。
(今思えば、当時の店も完全に黙認していたのだと思う。見るからにクソガキだった)
友人はちょうど連チャンしていたらしく、
下皿からメダルをごっそり両手で掴み、ドル箱に入れ俺に渡し。
「これで打ってきなよ」
ゲーセンで練習したおかげで、俺は唯一Aタイプのボーナスを揃えることだけはできた。
小役? そんなものは今でもよく分かっていない。
生まれて初めて打ったスロットは、良くも悪くも強烈な「ビギナーズラック」だった。
慣れない手つきで景品交換所へ行き、
大人の見様見真似で換金所へ並ぶ。
友人から貰った2〜3掴みのメダルは、一瞬で約2万円の現金に化けた。
「ありがとうな!」
俺はその足で友人を連れ、一丁前に焼肉を奢った。
「全部やるよ」と言ってくれた友人に、どうしても見栄を張りたかったのだ。
親父がパチンコで勝った日は、焼肉。
幼少期から脳裏に焼き付いていたその方程式を、
俺は親父の真似をしてなぞっただけだった。
何の苦労もせず、ボタンを数回押しただけで手に入れた大金で食う焼肉。
高校生のガキがギャンブルの沼に落ちるのに、それ以上の理由は必要なかった。
だが、バイトが長く続いたことのない俺にとって、
高校時代のパチンコは、たまにしか行けない「高貴な遊び」だった。
そんなある日、味を教えてくれた友人が教室で耳打ちしてきた。
「明日、あそこの店『年一のイベント日』だから激アツだぞ」
俺は小遣いと僅かなバイト代をかき集め、全財産の2万円を握りしめた。
平然と学校をサボり、2人で朝イチから開店待ちの列に並ぶ。
コンビニで買った缶コーヒーとタバコを手に、開店を待つあの時間。
「今日は絶対に勝てる」という根拠のない全能感とワクワク感は、今でも鮮明に思い出せる。
狙いは、話題の新台パチンコ。
確率は重いが、一度当たれば爆発的な出玉を誇る、いわゆる「MAXタイプ」の凶暴な台だった。
並びで席を確保し、俺は全財産の2万円をサンドへぶち込んだ。
経験者なら分かると思うが、MAXタイプの2万など一瞬の露と消える。
何一つ熱い演出もくることなく、
無慈悲な液晶画面に、俺の全財産はものの1時間で完全に飲み込まれた。
開店直後の店内で、俺は膝をガクガクと震わせていた。
ふと横を見ると、友人は学年に一人はいる「バイトを異常に頑張る奴」だった。
バイトのために平気で学校を休む男で、その日の軍資金は20万円。
「今日は過去最高記録を狙うから、出玉は絶対にあげないぞ」と最初から釘を刺されていた。
その友人の足元には、既に銀色のドル箱が何段も積み上がっていた。
──金がある奴のところに、さらに金が集まる。
俺はその不条理を、身をもって味わっていた。
「……全財産、溶けたわ」
哀愁を漂わせ、プルプルと震える俺の情けない顔を見て、
連チャン中で気分が最高潮だった友人が、ニヤリと笑ってこう言い放ったのだ。
「……金、貸してやろうか?」
それが破滅への入り口だとは夢にも思わず、
浅はかな俺は、その悪魔の囁きに飛びついた。
せっかく朝から並んで取った新台。
年に一度のお祭りイベント。
「3万貸してくれ!」
借りた金で、同じ台に現金を突っ込み続けた。
1万、また1万と、自分の金ですらない紙幣が吸い込まれていく。
高校1年生にとっての4万円の負け。
それは、心をバキバキにへし折るには十分すぎる大金だった。
残りの1万が5千円になった時、俺は耐えきれずその台を捨てた。
横の友人は、シマ中の誰よりも箱を積み上げ、完全に「シマ番長」と化していた。
手元に残ったのは、借りた金のラスト5千円。
「普通に学校に行ってりゃよかった……」
猛烈な後悔が押し寄せる。
だが、借りた金を返す方法は一つしかない。
「この5千円で、全部捲るしかない」
店内を血走った目でグルグルと徘徊し、
唯一原作を知っていたアニメの有名台に、空き台を1台だけ見つけた。
すがるような思いでハンドルを握り、最後の足掻きを始めた。
その時だった。
けたたましい警告音とともに、液晶画面にデカデカと『暴走』の二文字が浮かび上がったのだ。
「お前も来てたのか! おぉ、暴走モード入ってんじゃん! 良かったな!」
偶然居合わせた、学校を辞めて現場で働いていた元同級生が声をかけてきた。
先ほどまで友人が積んでいたドル箱のタワーが脳裏をよぎり、
「これで捲れる……!」と俺の目は完全に狂気じみていたと思う。
だが、そんな都合のいい奇跡が起きるはずもなかった。
わずか2箱出ただけで、あっけなく連チャンは終了。
頭が真っ白になった俺は、出玉を流して換金することすらできず、
惰性でハンドルを握り続け、最後の玉一粒まで全てを呑み込ませて終わった。
程なくして友人も連チャンを終え、
「完璧な引き際だったわ」と、換金してきた分厚い万札の束をドヤ顔で見せてきた。
「またバイト代入ったら返してくれればいいよ」
機嫌のいい友人の言葉に救われながら、俺は灰色の空を見上げた。
(※彼は高校をタバコで中退したが、その後派遣から大手企業の正社員へと這い上がり、今では投資もこなす超しっかり者になっている。俺のギャンブル人生に欠かせないキーマンだ)
初パチンコで手痛い大敗を喫した俺は、
これに懲りてしばらくパチ屋からは距離を置くことになる。
だが、ギャンブルの快楽を覚えたガキの熱量は、別の場所へ飛び火した。
それが、高校の教室で行われていた「トランプの大富豪」だった。
最初はジュースの賭け合いから始まり、
購買のパンへレートが上がり、やがて当然のように「現金」が動き出した。
基本は4人制。
ドベ(大貧民)が、1位(大富豪)に500円を支払う完全な賭博ルール。
俺は母親が弁当を作らない代わりに、毎日500円の昼飯代を貰っていた。
そう、俺はその命の500円を毎日テーブルの上に叩き込み、勝負を挑んでいたのだ。
負ければ、その日の昼飯は抜き。
1発で空腹が確定する日もあれば、2倍、3倍、時には数千円に化ける日もある、
まさにヒリつくような真剣勝負だった。
だが、所持金のない奴が参加して負け、開き直って「金がない」と主張する事件が発生した。
ヤンキー校の掟は無慈悲だ。そいつはそれ相応の制裁を受け、完全にグループから干された。
そこで導入されたのが、最も危険な悪法──「ツケ」だった。
手持ちがなくてもゲームに参加できるようになった結果、
気づいた頃には借金で火の車になっている奴が続出した。
さらに、1回500円だったレートは跳ね上がり、
最終的には1ゲームでMAX 5,000円が動く狂気の賭場と化していった。
捨てられたカードを全て暗記し、相手の残り手札を完全に透視する化け物まで現れた。
(なぜその恐るべき記憶力を、勉強に使えなかったのだろうか)
文化祭も体育祭もボイコットし、使われていない空き教室に立てこもって、
朝から晩までトランプを擦り続ける連中。
長崎への修学旅行では、初日の移動バスの後部座席で「レート1万円」の闇大会が開かれ、
旅行初日にして全財産を失い、3日間タダ働きのように過ごす奴もいた。
俺はといえば、あのパチンコの大敗がトラウマになっていたことと、
当時付き合っていた年上の彼女の家に通い詰めていたため、
次第にその狂気の輪から外れ、一歩引いた「見る専」になっていた。
高校時代の俺は、まだギリギリのところで踏みとどまっていたのだ。
そう、「高校を卒業して、まとまった給料を手にするあの日」までは──。

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